白老子が考えるよい家庭教師を見分けるポイント

家庭教師を始めたきっかけ

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必然的に「教育の在り方」「学ぶこと」「教えること」に興味を持つこととなり、大学の時には教職課程の科目も選択していました。
教職科目を取ったのは、在籍は理科系でしたが、それでも将来社会人として、或いは人間の素養として文科系の科目も大いに必要ではないかという思いと、実際に教師になるとかならないとかに関係なく教育に関して大学では何を教えているのかを知りたいと思ったからです。
親が貧乏であった私には、アルバイトは学費の為に必須のものでした。
アルバイトでは、学業で時間が制限されていた環境の中で比較的時間に融通が利き、他職よりも手当てが格段に高いものとして「家庭教師」の職を探しました。
背景に教育に関して興味を抱いた他ということはあるものの、実際に庭教師を選んだのは、手当てが断然群を抜いて高いという点でした。

教えるのが得意な科目とそのテクニック

今では、一口に問えるほど、「得意な科目」とは簡単な問いではないと思っています。
教える相手が小学生、中学生、高校生の誰であるかに依って教え易いもの(教え易い科目、教え易い項目)、教え難いもの(相手が理解し辛い科目、相手が理科視し辛い項目)があります。
「教えること」もコミュニケーションの一環であると捉えれば、当然相手との相互理解がないと生じ得ないものであり、常に相手の満足度を観察し、方法論としては機応変に対応して行かなければならないものと捉えなければなりません。
となると、一方的に「教える」だけの評価である「得意」では何の意味もないような気がしているのです。
何はともあれ、個人的には、数学と物理が得意でしたので、「教える」立場になると、やはり日々勉強をしている同じ分野が気持ちの上でも楽ですし、既に学問としての全体の流れを把握しているので教え易い、教える方法を組み立て易いなどの利点がありました。
どの科目も基本はみな同じで、学問は基本事項を元に論理の積み重ねですので、教科書の最初に出て来る基本事項の確認(繰り返し)に尽きると思います。
特に、数学も物理も最初に呈示される言葉の意味、数式の意味がその後の展開に重要で、全ての教育はここで失敗していると思います。
基礎を纏めた簡単な問題集をすることの意義、存在価値はここにあると思います。

家庭教師の仕事で苦労した点、大変だったこと

前述の繰り返しになりますが、「教えること」をコミュニケーションの一環と捉えれば、必ず相手との相互関係が問題になる筈です。
従って、家庭教師とはいえ、「教えること」の意味は固定的なものとしての方法論がある訳ではなく、人(相手)との相関関係で方法論は変わって行くものであると悟らなければなりません。
このことを悟り、一つの方法が通用せず、具体的に別な角度ではどの様に教えたら良いのかを実践して行くことに予想外の苦労を強いられました。
「教えること」の本来的な難しさを知りました。
例えば、「物を数える」ということも、小学生にとっては自然数・小数・分数の世界のことであり限られた条件のことであるのに対して、中学生にとっては負の疑念がある世界に広がり、高校生に至っては虚数の世界にまで達して来る訳です。
小中高生のどの学年に対しても、掛け算は足し算の繰り返し、割り算は引き算の繰り返しであることを「教える」面白さ、「学ぶ」面白さを感じられて、やっと一つのコミュニケーションが達成出来るものだと判るまで「教えること」を安易に考えていました。

家庭教師の仕事でやりがいを感じたこと、感動したこと

これもまた前述の繰り返しになりますが、「教えること」をコミュニケーションの一環と捉えれば、「教えること」は相互理解がないと成り立ちません。
単に、勉強が好きだの嫌いだの、この科目は得意だの不得意だのという断面的・側面的な観点だけでは「教えること」は成り立ちません。
まだ子供子供した小学生にしても、丁度反抗期の真っ盛りの中学生にしても、急に大人に近づいた高校生にしても、一体の個人であり、人間であり、この社会では大人以上に喜怒哀楽を持って生きている存在です。
コミュニケ―ションを考える場合、どこかにお互いに対等である平等であるという意識をもたないと、なかなか相互理解が進みません。
勉強に拘らずに衣食住、学校・社会・世界に関する話題に触れて相手の興味のあることを知らないと、お互いに交わす言葉に真意がなく、お互いを理解することが出来なくなってしまいます。
正直にいって、家庭教師を始めるときに、このことが上手く出来るかが一番心配でした。
流石に、この点は理屈(論理の積み重ね)では進みませんので。
ところが、実際に出遭った子供達は皆(そうです、全員)が、誰かと話したい、自分の興味を知ってほしいという願望の塊りなのです。
表面だけのおちゃらけだけではなく心の奥底から、他人との、大人とのコミュニケーションを望んでいるのです。
子供とは何と素晴らしい存在なのだ、と思いました。
まさに、感動しました。
こういう子供達とコミュニケーションが取れたこと、私という人間にも家庭教師という職を通して(異次元的な存在であった)子供達とこうしてコミュニケーションが取れるということに遣り甲斐を感じました。

よい家庭教師を見分けるポイント、受験生へのアドバイス

「よい家庭教師を見分けるポイント」は何か。
正直なところ、これほど難しい質問がありませんね。
受験生へのアドバイスとして強いて挙げれば、前述して来ましたが、相互理解が可能な人、「勉強を教えることの前に、自分(家庭教師)の考えを上手に説明出来る人、相手(受験生)の話をよく聴いてくれる人、そして、勉強を教えるときに、相手(受験生)が理解しているのかしていないのかを常に気にしつつコミュニケーションを取ろうと試みるような人」が勉強を教えてくれる人としては最も相応しいといえるかもしれません。
こう書いても、実際にそれを見極めることは、社会に出て悪戦苦闘している大人を見ればそう簡単なことくらい直ぐに分かりますね。
「ポイント」は、コミュニケーションにあります。
コミュニケーションというと、日本人は直ぐにいかに上手に話すかという観点になってしまいますが、それは大きな間違いです。
コミニュケーションの基本は「まず、聴くこと」なのです。
ですから、自分(受験生)の話をよく聴いてくれそうな人がよい先生になると思います。